どうしたって私達より早く行ってしまうのはわかってるんだけど、
新しい家族に囲まれて大切に幸せに暮らしてるのはわかっているのだけれど、
短い間とは言え一緒に過ごした時間はかけがえのないものですから、
同じ空の下からいなくなるのは辛いものです。
どこに行けば会えるのか、どうやったら頭ガシガシできるのか
本当はどう感じてるのか、幸せだったのか、何か伝えたいことはなかったのか
・・・毎回、いつも、いつも、いつも答えのでない難問を抱えているわけです。
保護活動をしていて一瞬立ち止まった時に「もしかして寂しく悲しいことのが多いのではないか」と思うことがあります。
物理的には出会いより別れの回数が多いわけで、それがわかっているのになぜやめないのか。
宮城顗さんという方が、
「その人を失った悲しみの深さは、実はそのまま、生前その人から我が身が受けていた贈りものの大きさであったのです。
かけがえのない大きなものを贈られていたからこそ、その人を失ったことが、深い悲しみとなって迫ってくるのです。」
のような事をおっしゃってました。
結局私の答えはそのとおりなのです。
ただ私は「深さ」という部分が大事なのかなと思ってます。
時間が過ぎ思い出に変わる時、そこから何年・何十年たっても悲しい思いは忘れないと思います。
ただ悲しみの深さは文字通り時間がゆっくり埋めてくれてると思ってます。
そう思わないとやってられなのでそう思うようにしています。
そんな事を思いながら自分にできる範囲ですが保護活動の手助けになれば・・と自分の気持ちに理由をつけてる次第です。
中身のない話ですいません。 3日くらいは空に帰った元保護犬。その後最高の家族に巡り会えた彼を思い出しながら一緒に散歩した道をブラブラ歩くことをお許しください。
優里さんの「レオ」という歌。
ちょっと今聞くのはしんどいけど、高齢で保護犬を迎え、できる限りの愛情を注いで下さったご家族に御礼と最大限の感謝をお伝えしたいと思っております。ありがとうございました。本当にありがとうございました。
いつか、またいつか家族を迎える気持ちが持てる時がくるのであれば保護犬達にも目を向けていただければ幸せです。
ありがとうございました。
優里 「レオ」
こんにちは
投稿拝見させて頂きました
お気持ち、とても良く分かります…
優里さんのPVを見ながら
恥ずかしながら号泣してしまいました
私どもは現在ご縁があった保護犬ちゃんを家族に迎え暮らしておりますが、やはり先代犬ぷりんとの記憶は今でもしっかり残っています
仮父パパさんのお気持ちも想像出来る次第です
今回の投稿でしっかり泣いてまた優しい気持ちになれた感じがしてホッコリしています
投稿ありがとうございました
こんにちは。
返信いただきありがとうございます。
今、預かりもいないですし「誰も読まないだろうな」と思っていたので驚きました 笑
良い出会いがあったとの事、とてもうれしく文面を拝見しておりました。
考え方によっては出会いは別れの始まりなので、その日は頭のどこかで覚悟しているものの、いざその時を迎えると一生懸命やったつもりでも後悔が残るものですね。
でも微力なのかもしれませんが、自分にできることをできる範囲で続けて行こうという気持ちで今はいます。
できればお空に帰る時は「楽しかったよ」って言ってもらえるようなお手伝いができればな・・と思いがんばります!
ご返信ありがとうございました
ほんとですね…
幸せだったのかな
とか
もっと色々してあげられたかな
とか…
今でも考えます
でも先に先に進まないと
後悔が出しゃばるので前を見て行くようにしています
仮父パパさんの率直な気持ちの投稿に同感致します
ご返信大丈夫です
ありがとうございました
また どこかで…
おーくんさま。
投稿ありがとうございます。ずっと気になってました。
推定11才で迎えた元気なワンが5年。
わが家に来て、わが家のレイアウトを覚え ottoが部屋に居ないとトイレに向かう…
ドックイヤーをしみじみ感じてます。
今は自力では動けない。それも愛おしい。
ちょっと 何が言いたいのかわからなくなってしまいました。
おーくんさまのblog 楽しみとは違って楽しみでした。
取り止めのない文章になりました。
ご勘弁下さい。
久々にブログを拝見させて頂きました。
本当に、ふとした時にあと何年一緒にいられるかな、一緒にいる時間が彼らの良き思い出になっているかなと、自問自答することが多いのですが、悲しみが受け取った贈りものの深さと同じと考えると、それだけ彼らにとっても自分にとっても意味のある時間だったのかなと。
優里のレオ、良い曲ですね。
色んな気持ちが入り混じって泣けてしまいました。
共有ありがとうございます。
ご無沙汰です。保護犬たちの活躍は時々Instagramで拝見させていただいてます。
どうしたって普通は彼らのほうが先に虹の橋へ向かうはずです。
今回ブログを久々に更新する気になったのは、幸せに家族になった高齢の元保護犬が新しい家族の一員になって、ご夫婦はもとよりお子様たちに大きな幸せと命そのものを生き様として見せてくれたとお聞きしたのでいっぱい褒めてあげるつもりだったのですが、やっぱり・・・それとは別に後悔と寂しさを感じてしまい抱えきれなくなりそうだったので誰ももう見てないであろうブログを書いた次第です。バレてちょっと恥ずかしい・・・
どうしたって先に逝ってしまうし
どうしたって後悔はのこるし
どうしたってもう思い出の中にしかいないと思うと綺麗な言葉で生き様語っても・・・さみしいですよね。
いつか・・絶対そんな日はこないとわかっていますが、「もうやれること全部やった」と言えるシュナ使いを目指そうと思ってます。
でも、結局ここに書いたことは全部「一人称」。
彼らがどうだったのか・・・あと何十年か経って自分が虹の橋の袂にいってら彼らに聞いてみます。笑
おーくんさま。
お元気にお過ごしですか‼️
おかげさまでボチボチ過ごしてますー
ただ卒業していった保護犬が空に帰る事が続いてちょっと凹んだ時期もありましたが。
シュナを預かってくれる仲間も増えてきて、怒涛の預かり生活も一段落という感じです。
油断していると続く時は続くので備えておきます。
ただ・・・保護犬のいない生活はちょっとさみしいですねー
ウチにいないほうが幸せな事だとはわかっているのですけどね