全然ケンゾ君とは関係ないんですが・・・
正直若い頃は親にとってあまりいい息子ではなかったことは自覚してるんですね。
17歳の終わりに家を出てしまって(ちゃんと卒業したけど)あまり実家には帰らなかったのは遠い昔。
人の親になった今も過去の思いもあり、せいぜい帰省するのは年1日。泊まることもなく。
若い頃は全てに反対してくる親が邪魔でしょうがなかったけど、今なら子供を育てる事って本当に大変なんだなと思うと今更ながら感謝の言葉しか出ない。
そこであと「どのくらい親に感謝の言葉を伝える機会があるんだろ?」と考えるようになってきた。
頑張って・・・頑張って生きてもらっても、あと20年元気でいれるかどうか。
私実家に帰るのは年1日。
ということは、会えるのはあと20回で20日分。
20日って・・・。いつもの生活に当てはめると、例えば11月1日に一ヶ月が始まって今日にはお別れしなければいけない日数なんですね。
生まれてから大人になるまでずーーーーと、育ててくれた親にあと半月ちょっとでお別れをしなければならないなんてあまりにも短い時間。
でも、まだ間に合う。月に1回にすれば12倍。1泊2日にすれば更に倍。
言葉にしなくても、邪魔だと言われてもそばに座ってるだけでもいいでしょ。
「あとなんにち」一緒にいられるかな・・なんて考えながら。
と思ってしまうセンチメンタルな夜でした。
カワイイデカいお犬さまはヒーターの前を占領してねていますー
おーさんおはようごあざいます
我が家の次男も似たようです仕事がら中々帰ってくる事も無く
年に一度有るか無いかです
親としては就職当初は寮生活に慣れず余りに頻繁に戻って来るので
小言を言ったりもしましたが帰って来なければそれは又寂しく(勝手なものですね親も)
けれど おーさんの残りどれ位会えるか?計算は少し響きました。
とは言え我が子が自分の居場所でしっかり暮らしている事
親には寂しくもあるけれど嬉しくもある事でして
けれどそんな事を思ってくれてると知ると親御さんは嬉しい筈
我が家の次男も思ってくれてるかな?
おもってますよ。表現できないだけで。
私の様なオヤジが言うのもなんですが、歳をとると生まれた育った場所に帰りたい、田舎に帰りたいと郷愁が募ります。
でも、物理的な場所だけでなく無条件で受け入れてくれる親や兄弟がいる場所が故郷なんでしょうね。
そういうのひっくるめて大切な心の拠り所だと思いますけどね。
まあ、いろいろ聞くと「そんなこと言わなくても判るだろ」って言ってしまうのが、男の悲しい性なんですがね。
ウチの息子も同じような感じ。
飛行機でしか帰ってこれない所に居るからしょうがない…と思っていたけど、そうやって数えてみたら、ちょっと悲しくなってきました。
親は、いつでも会いたいんです。
でも、そんな事言ったらめんどくさいって思われるかな? …とか、考えてしまって。
今まで、なかなか、帰っておいでとも言わなかったけど、伝えてみよう。
小さい時はいつも近くにいて、いつも一緒にいたのに・・ふと気づくと親の知らないことを覚え、親の知らない友達と知らないところへ行き、そのうち会える時間と会わない時間が逆転していくんですね。
親としてはずっと近くにいたのに寂しい気持ちですよねきっと。
それを親不孝と呼ぶか成長と呼ぶかは難しいですが、いつか自分が親になったとき、初めて(改めてではなく)親の凄さを理解するんでしょうね。・・でも、その時はその時で忙しさ・恥ずかしさを理由に思っていても感謝を伝えるのが後回しになってしまうでしょうけど。
例えば想いを「伝えた」という言葉と「伝わった」という言葉は言葉としては対になるのかもしれないけど、そこに感情が入ると必ずしも対にはならないのが難しいところで、人間の面白みですね。